老人と選挙:老人は選挙に行くのはやめろ!

米国の大統領選挙は今年の末である。選挙に先立って、有力候補者の討論会なるものが開催された。参加者はバイデンとトランプである。この前の選挙で争った両人である。いかにもつまらない顔ぶれである。

討論会でのバイデンの物言いがあまりにも無様だといいうことで、急激にバイデン下ろしの動きが始まった。きっかけは民主党寄りだとされているNYの社説である。老人バイデンには次の大統領は務まらないのではないか。懸念である。

老人ということ。解釈が難しい言葉である。何をもって老人とするのか。一般的なのは年齢なのだが、人により体力、知力が全く異なるので、難しいのである。私が今回の記事での老人としているのは、自分も含めてではあるが、社会との関連性である。

仕事から手を引いてかなりの時間が経過している。仕事をしている時と今では、社会との関わり方も随分と変わった。若い時などは、社会の趨勢と自分の行末がある程度はリンクしていたのだが、自分が老年となってみると、正直なところこの社会に対しての関心はほとんどない。先は短いだろうが、自分のこれからの生き方だけが問題となっているのだ。

少子化だろうが日本が貧困となっていることなど、自分の気持ちとしてはどうでも良いこと。ただただ自分の生き方だけが関心事なのである。

だから、老人は選挙に参加しない方が正解なのだ。議員として立候補することはもちろんだが、投票することもやめなくてはならない。関心のない社会の行末を余計なノイズで混乱させることはない。これからの社会の行く末と大きく関係する人たちだけが、選挙に行って自分たちの望む社会にすれば良い。老人などは選挙に行く必要もない。黙っていれば良い。

当然ながら自分は選挙などには行くこともない。選挙後の社会がどうなろうと、私には関係ないことだから。