空への手紙という歌があるらしいが、今回の話はその歌のことではない。韓国ドラマの話である。
映像作品を楽しむのはもっぱらNetflixである。それも主に韓国ドラマ。残念なのは面白い新作がどんどん登場するわけでもないこと。続けてみようと思える作品は少ない。だから一度見た作品をまたみることになる。悪いことではないのだが。自分にとっては。
意外と覚えていないもの。再度見ることで以前とは違った楽しみがある。
今回の話も以前見たドラマの話。題名は「いつかのきみに」だ。韓国ドラマの定番である、過去への蘇り。
設定としては難しいものがあり、話の展開としてはどうかなと思うところも多いのだが、出演俳優の熱心さか、荒唐無稽な話も実感できるところが面白いところだと思う。
しかし、このドラマを取り上げた理由は、そこではない。韓国ドラマの一つの特徴である文芸的なところを考えてみたいと思ったのだ。
ノーベル文学賞の時期になると、決まって一人の日本人作家が話題となる。別段その作家を貶める意図は毛頭ないが、如何にも的外れなことである。芸術としての文学なるものがあるのかどうかは知らないが。ノーベル文学賞の選考員たちが重視するのは、芸術としての文学ではない。社会活動としての文学である。だからあの作家がノーベル文学賞を受賞することはありえないこと。ただしノーベル文学賞を受賞することが、その作家にとって本当に意味があるのかあるいは価値があるのかは疑問である。
韓国ドラマの特徴は人により考え方が違うのは当たり前のこと。私的なところはいわゆる追っかけ的な人間とは異なると思っている。実際はどうかは知らないが。
今回取り上げた作品であるが、表現としての主題は、歌である。歌の歌詞が何回も登場する。またこの歌を聴くことが過去への結びつきを実現するもの。
特別にこの作品がどうだということでもない。大概の韓国ドラマには詩的な表現が必ず登場する。具体的な作品名は今は思いつかないのだが。特別に文芸的な作品ではなく、犯罪が主題な作品でも同じような傾向が見える。韓国ドラマの本質と言っても良いであろう。
だからどうなのか。
表向きは単なる娯楽、これが映像ドラマである。しかしこの娯楽が人の生活にどのように影響を及ぼすのか、まともな調査はない。単に宣伝媒体としてドラマとしてしか見ていないから。
映像の力は強い。
ドラマの詩的表現と見ている人間の人生の接点は。単なる面白おかしい話の展開ではなく、心情的な表現としてのドラマ。そして心情的な自分の人生とは。
色々と考えてみるきっかけであることは確かだ。