駅の構内であれほどの注意放送がされているのに、一向に減らないのが歩きスマフォである。毎日電車を利用するわけでもないのだが、以前よりよほどひどくなっているような気がする。自分だけではないであろう。迷惑な歩きスマフォではあるが、自分も実のところは同じようなことになっているのでは、そんなことを感じる今日この頃である。
歩きスマフォの連中の心理的な状態はどのようなものであろうか。ある種の自慢げな行動なのかもしれない。つまりは自分がいかに情報に敏感な人間であり、歩きときも同時に情報を集めている、同時に複数のことができるマルチタスキングの人間だと。
本当のところはどうであろうか。
人間の行動を促すのが感覚器官である。そしてこの感覚期間には2種類あることがポイントである。2種類の感覚器官とは受動的と能動的なもの。具体的は聞く耳が受動的であり目が能動的である。代表的なものとしては、。
受動的器官は生物進化的なものとしては根本にあるもの。どのようなことか。先に書いた音を聞き取る耳というもの。この耳は自分で意識することもなく、外の音を聞き分けるもの。受動的であり自動的なものだ。この器官がいかに大事なものか。考えてみればすぐにわかることである。
レーダーと耳器官を比較してみればすぐにこのことはわかる。レーダーは能動的なものであり、常に探索していることで敵などを察知する。耳の場合はどうか。自分で何かをする必要はない。何か外で大きな音がすると、耳が自動的にその音に反応する。対応する。危険を察知する能力が優れているわけだ。
能動的な視覚的の場合はどうか。意志的に見なければ何も見えてこない。常に何かを目標としているのがこの視線である。常に何かを見ようとしているのがこの能動的な視線である。
2つの種類の期間では、受動的なものと能動的なものは共存可能である。音楽を聴きながら作業をする。誰でもが普通に行なっていることである。しかしながら能動的なことは共存することはできない。同時に2つのことを見ることはできない。当たり前の話である。
で歩きスマフォである。この場合の器官はどうか。どのような器官が動いているのか。
歩くこと。能動的なもの。スマフォを見ること。能動的なこと。つまりは不可能なことを行なっているのがスマフォ歩き。でも実際にそんなことをしている人がいるのではないか。確かに表面的なこととしては。しかしそれぞれの動きにはそれ独自に価値がある。家から会社へ行くことは無駄なこと?歩くことは無駄なこと。歩きながらスマフォを見ることは座っている落ち着いてスマフォを見ることよりも価値があること。じっくりと考えながら歩けるのか。
随分と前置きが長くなったが、別段スマフォ歩きについてここで批判を展開するつもりもない。はっきり言えば、スマフォ歩きの連中はすでに病気の範疇であり、残念ながら回復することは不可能。そうではないない人に対してこの記事が価値があるのではないかと思う。自分も含めての話ではあるが。
昔ならば1時間、2時間と同じ作業を続けられていたのでは、今はどうか。たった5分程度の作業でも続けることはできな。役にも立たないSNSやメールの確認そしてそしてである。どうしたのだろうか。自分のことだがとても残念なことなのだが、抜け出す方法を見つけることはできない。切羽詰まったところで、AIに聞いて見ることにした。おすすめのサイトはあるのかどうか。そんなことを聞いてみた。
第一に紹介されたいたサイトが、James Clair氏が運営している自分サイトである。James Clair氏とは超ベストセラーとなったAtomic Habitsの著者である。この人が自分のサイトを運営している。当たり前のことだが、自分にはその発想がなかった。
そして中身である。
要約するのも良いだろうが、やはり原典そのもので考えるのが良いことだろう。わかりやすくまた単なる解説ではなく実践的な方法も提示してくれているのがありがたいこと。
私も早速実践してみたいのだが、興味のあるならば各自で実践してほしいところ。
結果はどうなったのか。機会があれば自分自身の経験を語ってみたいと思っているところだ。