Gen AI画像がつまらない理由。

大手メディアを含めネット上のニュースやエッセイなどの記事は。大概に同じ構造で作られている。すなわち、メインとなる画像があり次にタイトルそして本文である。私自身も同じ形式構造で記事を作成しているのだが。

メインとなる画像。ネット初期では、パクリ画像で次はネット上でフリーで使える写真画像、最近はAIを使って作成した画像である。

AIを活用した記事メインの画像作成。便利なものだ。最初に記事を作成し、次にその記事内容に適応した画像をAIを使って作る。これまでの既存の写真画像から自分の記事にあったものを探す。随分と面倒なことであった。自分でもこの作業が面倒であり、記事を書くのも面倒となりサイト更新もなくなる。そんなところであったのだが。

便利なAI作成画像ではあるが、自分が他の人間が作成した記事を見る限りは、成功しているのはほんの少しのような気がする。時には画像などない方が良いのでは、そんな風に感じることも多い。なぜだろうか。そしてその解決方法はあるのだろうか。

以前に推理小説のカバーデザインをAIに作らせてみようと思った。どのような能力なのか確かめたくもあったので。

結果は。自分が出版社の編集者だとして判断したらどうか。採用しない。理由は。できた本の宣伝としては活用できるだろう。その本(推理小説)のポイントを押さえた内容だから。この点では素晴らしいと思った。本の内容を理解している。そんな感じであったのだ。

ダメな理由は。表現が推理小説本体の謎解きになってしまっているから。推理小説を読む際の楽しみは、どんな事件と推理が展開されるのだろうか、その期待感である。謎解きめいた話が本を読む前に開示されてしまうのは、購買意欲を削ぐこと。本の装丁の意味がない。

ネット上の記事メイン画像の話である。記事の筆者が画像を自ら作るとして、どのような工程になるのか。多分ではあるが、本の要約的なことあるいは記事タイトルを入力して、できた画像を使う、あるはさらにプロンプトを追加して望みの画像に変形していく。こんなところだろうが、これが問題なのである。

絵解きの画像ほどつまらないものはない。たとえばネット上で数おおく見受けられる「簡単に記事を作成する方法」的なものでは、デスクの上にノートパソコンとノートそして筆記具こんな写真が多い。なんら特徴のない画像。このような画像を平気で掲載している筆者に、独特の視点でしかも実践的な記事を期待する人がいるだろうか。当然ながらいない。いるわけがない。

何がダメなのか。必要なのはメタフォーである。例え話的なものだ。作り方。自分の場合はまずは俳句を作る。俳句の規則に縛られることもない。言葉の数などは問題ではない。短詩である。記事から発想した俳句である。この俳句をAIに渡して画像を作ってもらうものである。

具体的な例で話そう。この記事に掲載しているメイン画像の話である。

「人は去り雨は春にて音も無し」この俳句だ。この俳句を入力して画像作成を待つ。何回かトライアルしてできたのがこの画像である。この画像のポイントは何か。

句のメインは人は去り。AIはこれをどのように解釈して画像として表現したのか。雨に濡れたベンチ。そこに見開き状態の本がそのまま裏返しで置かれている。あたかも本を読んでいる途中で立ち去ったかのような情景。正直のところ、私自身も予想もできなかった画像。人去りを本で表現する。これがまさにメタフォーなのである。

そもそも自分が書いている記事の本当の特徴は何か。それを俳句として表現してみれば、これまでのありきたりのAI画像ではない自分独自のものができるはずだ。一般的な画像で満足しているようではダメである。これは確かなことである。