孤独のグルメ、自分的には終わりかな!

孤独のグルメを久々に見た。テレビが家からなくなって久しくなる。見たのはネット動画配信サービスであるNetFlixである。だから現在のテレビ番組ではどうなっているのかは知らない。あくまでもNetFlixでの話である。

小さな出版社が大ベストセラーを出版することがある。そして2、3年後。しばらくその出版社の話を聞かないと思っていたら、ニュースで突然その出版社が倒産したとのこと。意外ながらよくあるパターンでもある。

どうしてなのだろうか。考えてみても理由は思い浮かばなかったのだが。孤独のグルメの末期的な症状をみるにつけて、その理由がわかってきたような気がする。勝手な妄想かもしれないが、自分なりの理由を話してみようと思うわけである。

失敗あるいは災害について人は備えるものである。強い国土などと称した政策が、実は単なる道路の掘り返しである。水道管の取り替えらしいが、どうなのだろうか。

成功についての備えを考える人はほとんどいない。当然のことだろうか。大きな失敗(災害)と大いなる成功の確率はほぼ同じではないか。であるならば、災害に備えるように成功に備えることもそれほどおかしなことではない。

では成功に備えるとはどのようなことか。孤独のグルメを例にして考察してみる。

孤独のグルメを最初から見ている人にとって、最近のエンディング画面は異様に見えるのではないか。私もこの番組作りに参加しているよう的な異様なアピール。これへの対処方法を考えることが、成功に備えることなのだ。

私が会社づとめをしていた時にはっきりと経験したことでもある。

人の成功を平気で横取りする連中がいる。そしてそれら連中の動きを容認している幹部連中。成功が失敗の原因となる最大の要因であり、だからその出版社は倒産し、そして孤独のグルメ番組が劣悪となり、多分近いうちに消滅することになるだろう。

成功への備え。企業経営だけではなく、どんな場合にも必要なこと。成功への備えがなかったこの国が、急速に没落している。代表的な例である。

→余計な一言
自分にとっての孤独のグルメの終焉。何も今回初めて感じたわけでもなく、すでにずっと前から予想していたことだ。理由は簡単。製作陣は頑なに主張しているようだが、主人公の独白が俳優自身ではなくナレーターに変わったことがその始まりなのである。

似せた声にしているが、違いはすぐにわかる。声というものは誤魔化せないものなのである。あの変な含み笑い。何かを小馬鹿にしたような。最初の頃には全くなかったことである。特別シリーズがあるのでそれで誤解しているのだ。そんなことを言っている連中。だから残念ながらせっかくの番組も台無しになってしまうのである。