その社会の状況に応じて広告のあり方も随分と変わってくる。ものがなかった時代。たとえば髪を洗うのに石鹸などを使っていた時代。髪専用の液体洗剤(シャンプー)を開発した企業は、シャンプーとはどのようなものでありどんな効果があるかを宣伝するだけでよかった。なるほど便利なものだと、人々が飛びついたわけである。まさに新規顧客獲得の時代である。
石鹸からシャンプーへ変化する時代はとうの昔に過ぎ去った。新しい分野を開発するのは容易なことではない。広告の手法も変化する。あからさまな表現ではないが、他社からブランドスイッチが主な目的となる。他社のシャンプーを使っていた人をこちらのシャンプーを使うように促す。こんな目的に広告である。
しかしこの広告手法は大変難しいものである。人は使い慣れたものから他のものに移るのはとても慎重である。いつも使っているもので特別に不満足を感じていないのに、なぜ変えなければならないのか。納得させる話を作るもは至難の技である。
しかしブランドシフト(他社製品への乗り換え)が全く不可能というわけではない。まあせこい話ではあるが、相手の失敗を利用することだ。日本の広告環境ではあからさまに他社の製品を誹謗することはできない。というかそもそも他社の製品を誹謗することは不可能である。確かに性能的な違いはあるにしても、その違いを認識するのはユーザーの感覚的なものである。感覚的なものは人それぞれであり、違いを客観的に証明することは不可能である。裁判になったら間違いなく敗訴となる事例である。
しかし誹謗表現も色々とある。たとえばシャンプーした後に髪がごわつくことはありまりませんかなど。製品を使用した感じを表現すること。これがまた微妙なところなのだが、実際は他社のシャンプーと同じ程度の性能なのだが、これをいうことで自社の製品が優れたように錯覚させることになる。錯覚広告の顕著な例である。
性能比較もブランドシフトにはある程度の効果はあるが、決定的なものではない。決定的なもの。競合他社の失敗である。多分現在のところ唯一の効果的なものと言って良いだろう。
たとえば他社製品に有害な素材が含まれていた。あるいは他社の社員が不祥事を起こしたなどなど。色々とある。いかにもいじましい話ではあるが、不祥事が大々的にニュースにある時は、大概の場合背後に別の企業が存在すると思って間違いはない。メディアなどは所詮は企業の手先であり、言いなりの行動するわけだ。もちろん企業がメディアに直接的に介入するわけではなく、広告代理店なるものが真ん中にいるわけなのだが。
さてさて話はMetaのThreadsである。Twitterもどきのもの。予想だが、Threadsの登場によりTwitterは消滅するかもしれない。
すでにSNSを使うことをやめてから久しくたつ。Threads そのものについては何ら興味はないのだが、ブランドシフトの事例としては滅多にないものである。他のことにも利用できるデータが得られるかもしれない、ということでThreadsに興味はある。また実際に使ってみての話だが、裸まがいの画像を投稿して人の注目を集めるInstagramユーザーがそのままThreadsを使っているだけのような話。バカなメディなどは急激に利用者が増えているような話をしているのだが、笑えることだ。
本題に入ることにしよう。乗っ取りである。ネット社会での巨人とされる幾つかの企業。ほとんどが二番煎じのもの。ある意味乗っ取りで成長してきた企業である。Windowsシステムは好きではないが、例外はMicrosoftだけではないか。これからはどうなるかは知らないが。
ThreadsはどのようにしてTwitterを乗っ取るのだろうか。現在の世の中では倫理感などは無用な長物になってしまったよう。自分の利益のためには何でもやる。そんな世の中である。この世の中で生きる人間はだからつまらない倫理感などは捨て去ること。Threadsの一つの教えである。弱っている相手の急所をつく。古来からの伝統的戦法である。
相手の弱点をつく。戦法の第一であるが、難しいのは弱点ポイントである。弱点が最もあからさまになる時期である。相手が弱っているようでも実はしぶとく体力を温存している場合が多い。見た目が弱っているからと言って無闇に攻撃を仕掛けて失敗する。予想外は戦法で全くダメなことの一つである。
Threadsが登場したタイミングはどうか。MuskがTwitterを買収して以来やっていることは改悪的なことばかり。どのタイミングでもThreadsが登場してもおかしくないのだが。何故今なのか。予定より前倒しで発表したところからわかるようにThreadsはすでに開発が終了していつでも稼働できる状態になっていたことは間違いない。だから開発が終了して後悔する日がたまたまこの日だったというわけではあるまい。Twitterが最も弱くなる時点、これを狙っていたに違いない。
最も弱くなる時点の見極め。戦国武将ならば絶対的に必要な資質であろう。戦さ上手な秀吉の能力のようなもの。無駄な力を使う必要もないから。
TwitterのMaskよるユーザーの閲覧数制限。このことについてThreadsの開発元であるMetaは知っていたのかどうか。知っていたと思うが証明することは不可能だが、このような動きが起こることは予想はできていただろう。Muskの先行するAI企業に対しての反対行動から。閲覧制限は必然だと考えてもおかしくはない。
Generative AIはその能力の源泉はネットの情報である。膨大なネット情報を集めて処理することで、あたかも人間のような受け答えができる能力を開発したのである。膨大なネット情報でTwitterは貴重な情報源である。情報源と言ってもTwitter自体の情報ではない。Twitter情報をハブにして真に役立つ情報源に辿り着く。これがGenerative AIにとってのTwitter価値なのである。
Musk以前のTwitter経営陣はある意味ユートピア思考の人たちである。そのことはTwitterのシステムを見ればすぐにわかること。プロモーションを展開したい個人あるいは企業は、何も Twitterに広告を出す必要もない。一般の人と同じく、自分サイトのコンテンツ概略とそのコンテンツへのリンクを投稿するだけで良い。そのリンクを辿って人々がそのサイトを閲覧する可能性が高くなる。ネット広告を全く使うことなく Twitterで集客できる仕組みがTwitterなのである。
だからTwitterに投稿されたものを調べる実際にそのサイトを訪問することで、充実したコンテンツを得ることができる。だからGenerative AIにとってはTwitterは貴重な存在であり、自分で独自のAIを開発したいMuskにとっては逆に困った機能なのである。だから他のAI開発を邪魔するために、閲覧数制限を設けたわけだ。
深夜の赤坂。タクシーに乗ると運転手が、この車は新宿までしか走ることができないという。Twitterの閲覧制限とはこのようなもの。あり得ない話であり、そもそもタクシーなど走らせるな、という話である。
なぜこんな無謀なことをするのか。理由は先に書いたことだが、最も重要なことはこんな指示を出したMaskの思考回路であり、こいつの限界でもある。つまりは、人間の集団行動を理解することができない人間なのである。
名前は忘れてしまったが、3・1の法則なるものがある。イタリアの学者が発見した法則である。実に興味深い発見である。たとえば企業でのこの法則を考えてみる。
ビジネス系のサイトでは定期的に働かない中高年の話が出てくる。働きもしないで給料だけは高い、概ねこんな趣旨の話なのではあるが、こんな記事を書いている連中に限ってまともに企業で働いたことがないものである。単にネットで情報を集めただけで自分の体験もない話なのである。
アリを考えてみる。一般的には働きアリはよく働くとされている。だからこの名前がついているのだが、実際は働きアリ全部が働いているわけではない。休んでいる連中の方が逆に多いくらいである。何故か。理由はちゃんとある。組織の余裕である。働かないアリは絶対に働かないわけではない。
働いているアリは外に出て活動する。それだけ危険性が多い活動である。外敵ではなくても急な大雨で流されてしまうことも多い。組織の働きアリが全て外で活動していたら。この災害は組織の消滅となってしまう。働いているアリが消滅してしまうと、今度は働かないアリが働くことになる。自動的に。この仕組みで組織が存続できるわけだ。
金を払いもしないでTwitterを利用する連中。マスクが最も憎む相手でもある。働かない連中。Twitterに寄生するだけの存在。Maskがどれほどの人間かは知らないが、小さい人間であることは確かだ。目先の利益だけが重要な存在。
3・1の法則は不思議なものである。たとえば働かない社員を排除したらどうなるか。全て働く社員になるわけではない。残った社員の構成も働くものと働かないものとに分かれる。この区別は永遠に続くことになる。少数精鋭という考え方がいつも失敗するのは、この原理からなのである。
Threadsのことである。ブランドシフトの原則は相手の不利な状況を見極めることである。Twitterの利生者数減はMuskの買収時からなのだが、それが決定的になることはこれまでなかった。受け皿となるべき他のSNSの利用方法が煩雑だったりした理由もあるが、それだけではない。流出の理由が主にMuskに対しての感情的なものであったからだ。大方の人にとってはMaskは好きでも嫌いでもない存在であろう。Maskが好きだからTeslaを買う、あるいは嫌いだから買わない。こんな人は少ないのではないか。
決定的な弱点ではなかったのだが、ここに来て決定的な弱点が露呈した。先に説明した3・1法則の無視。つまりは閲覧数制限である。金を払わない奴には利用させない的な発想である。Twitterの最近の愚策の数々の中でもこれは愚策の最たるものだ。決定的に不利な状況を自ら作り出したわけだ。
MetaはTwitterの閲覧数制限を事前に知っていたのだろうか。予定よりはやめての公開となったのだが、何とも不思議なことではないか。