情報力を鍛えるために必要なことは

学校教育というものは、私たちの頭に埋め込まれた最悪のチップである。このチップのおかげで最悪な人生を送っている人は多い。自分を無価値なものとするこのチップ。デマゴーグなどを価値あるものとみなすように仕組まれたもの。このチップから抜け出して本当の自分を見つける方法はどのようなものだろうか。考えてみた。

停滞する日本社会。この状況を打破するために教育改革が声高に叫ばれている。原理的に失敗する話だ。理由は簡単である。教育改革を主導するのは文部科学省なのだろうが、この連中はそもそも既存の教育システムでのいわゆる勝ち組である。一流高校から国立の一流大学卒業。こんな連中がほとんどであり、自分の権威の保証である教育システムを否定することは、原理的にできないことである。

旧来の教育システムで育った人がほとんどであろう。自分も含めての話だが。旧来の教育システムが現在の状況に対応できないことが明らかとなったこと。つまりは自分自身への批判的な評価がなければ、そのまま現在状況に対応できないことはまた明らかなことでもある。

堂々巡りの話。この話からぬだけ出す方法はあるのだろうか。確実に存在する。今の状況を今として考えること。まあ世襲議員が多いこの日本社会では到底無理な話なのだが、そんな馬鹿奴らのことはどうでも良い。まずは自分がその方法を見つけることが大事だ。

既存の教育システムからチップが頭に埋め込まれた状態。今の私たちの状況である。善悪の判断からして全てこのチップからの命令である。このチップから抜け出す方法が実際に存在するのだろうか。無理な注文なのだろうか。

先に書いたように実は簡単である。チップなどを埋め込んだ連中がそもそもの間抜けだから。いつもいつもは難しいだろうが、ある判断を下すとき、その判断自体を検証してみることだ。左に曲がろうとするのだが、それが正しいことなのかどうか。正しいことかもしれないが、自分の判断自体を判断することが、ここでは重要なことなのである。

具体的な例で考えてみよう。今話題のMetaのThreadsなるものである。MuskのTwitter買収以来、Muskが提示するものはつまらないものばかりであり、Twitterから他のSNSに移ろうと考えている人は多い。この状況をチャンスと考えて登場したのがMetamのThreadsなるものである。

Threadsの滑り出しは好調である。短期間に巨大な数のユーザーを集めた。マスコミもこんな話ばかりしているのだが、そんなものはどうでもよくて、まさに自分の判断力を試すものだと考えるのが有効なものである。

教育チップが威力を発揮するのは理由がある。既存の価値観を人々に埋め込むことができるから。大手メディアが発信する情報はそのまま正である。一つの例である。

Threadsがその公開以来多数のユーザーを集めた。これは事実である。しかしこの事実に関しての真実判断は異なるものだ。素晴らしいものであり、Twitterを滅亡に追い込むことは間違いなし。平家が滅亡したように。また別の考え方もある。誰がこのアプリを利用したのか、である。数字ではなくその中身を検証する人たち。情報分析力がある人とも言えるだろう。

わかることだ。Threadsで新しくSNSを始めた人は皆無である。ほとんどのユーザーがMetaが運営しているInstagramからの流入者である。Twitterからの移動もいくらかはいるみたいだが。

このことからわかることは、初期のユーザー数増加はそれほど意味がないこと。逆にこの数は危機的なものである可能性があることだ。Instagramの利用者がThreadsを使おうと思う。あり得る話なのだろうか。すでにInstagramで満足すべき活動をしているユーザーが。考えもなく裸同様の写真をアップして人々の注目を集めようとしている人間が。

登録者ではなく利用者単位で考えると、残念なことにすでにThreadsは急速の落ち目となっている。小賢しいMuskからの情報ではあるのだが。

今の世の中、最も必要とされる能力は何か。既存の教育システムでの世の中の人間はその優劣の違いはあるにしてもほぼ同じものであった。しかしネット時代の現在は全く異なる。水泳教室に通っているのだが、同じ年寄りでも全く違うことは、その動きでわかることだ。そもそも同じ90代でも水泳教室に通って生活を楽しむ人と、介護施設で動けないような生活を送っている人。もちろん事情はさまざまであることはわかっているのだが。

情報力が現在の世の中で真っ当に暮らしていくために必要なことは、多くの人が実感していることだろう。課題となるのが、その情報力を育成するための方法を誰も教えてくれないこと。何をすれば良いのか。

ここまで長らく書いてきたのだが、実践方法はそれほど難しくもなく、実際は誰もが実践していること。最初に思い浮かんだことを否定することだ。最初に思いつくこと。これまでの教育システムで埋め込まれたチップである。このチップそのままで考えを展開していたのでは、自分の人生はない。チップを批判的に再考してみること。チップの考えに結局は辿り着くこともあるだろうが、このプロセスがあるかないかでは全く違うものだ。再考することで自分の考えとなる。何よりも重要なのは、この方法が積み重ねができること。この行為を繰り返すことで、さらなる自分独自の考え方が育成するわけである。

自分の人生である。正解に辿り着くことは不可能かもしれないが、少なくとも他人の意見で生きるよりもマシなことは確かである。絶対に。