Threadsなるもの宙に舞いそして消えた

立ち上がりが派手だっただけにThreadsなるものの凋落が目立つ。なるほど登録者は多いのだが、実際はその登録者のほとんどがThreadsを使うことをやめてしまったのである。なぜこのようなことになったのか。自分なりに考えてみたのが今回の記事である。

Mなる人物もZとなる人物も好きではないので、私の理想はTwitterもThreadsもこの世から消えて欲しいのだが。単なる私の希望的な観測なのであるが。

Twitterはこの先どのようになるかわからないが、Threadsは立ち上がり早々に消滅の危機を迎えているようだ。登録者はなるほど初速では驚くほどのことであったが、肝心の利用状況となると悲劇的なものである。登録者のほとんどが利用をやめてしまっているのだ。

私ももメディアの提灯記事の惑わされてThreadsなるものをインストールして使ってみたのだが。一瞬で嫌になった。Facebook関連ユーザーの独特の臭さが鼻についたから。裸同然の自撮り写真をアップして、腹が減っただのつまらないコメント。こんな奴らばかりの投稿だったから。自分好きばかりの人間が自分自慢をしているところ、これがThreadsであり、回転寿司に屯している3流高校の学生のようなものだ。話はここで変わるが、マックが近所のばか高校連中の出入りを禁止したとのこと。英断である。

本題に戻る。数字で現実を誤魔化す。広告業界の常套手段である。バカが最も引っかかる手法でもある。自分も含めてなのだが。ただこの手法の限界点は、ちょっと自問してみることでそのごまかし具合がすぐにバレてしまうことだ。

Threadsもこんな幼稚な広告手法を使った。あっという間にユーザーが億を超えたなど。しかしここで登録した人間を考えてみる。一体誰が登録したのだろうかと。答えは簡単である。Metaの同種のソフトであるInstagramのユーザーが大半であろう。特別な手続きをすることもなくすぐにThreadsを使えることができるから。次に多いのはTwitter利用者でMuskの乗っ取り以来から不満を抱いている連中となる。あとは自分のような野次馬的関心のある連中ということになる。

落ち着いて考えてみればThreadsはこれらの連中にとって何の魅力もないことがわかる。まあ登録者の大半であるInstagram利用者にとってはどうか。Instagramの利用者などは文章もまともに書けない人間たちである。そんな連中にとってはInstagramが何の魅力もないことは当たり前の話。写真投稿でそれなりの成果をあげているのに、なぜここで改めて苦手な文章を書く必要があるのか。判断はそんなところであろう。

次の連中。MuskのTwitterに不満を覚えている連中。この連中のThreadsを使ってみた感じはどうか。多分私と同じであろう。自分自慢の輩のつまらない自分自慢の投稿。一目で嫌になることは間違いない。Muskの言うように見せかけの幸福感など自分にとっては何の意味もないことだ。

私のような興味半分の人間にとってはどうか。文句を言いながらもTwitterを使っている自分ではあるが、投稿だけでなく色々な使い方が用意されているのがTwitterの魅力である。もちろんMuskなど関係なくそれ以前の運営者が優れているということなのだろうが。

Threadsがそれでもそれなりの価値があるのは、Twitter以外の別の可能性があることを示したことであろう。どのような可能性でそれが具体的にどのようなものとなるのか。あるいはSNS自体の消滅か。ここ数年で結果は明らかとなるのではないかと、期待しているところなのだが。将来のことを予測することは不可能であり、現実の変化に対応できる体質を作ることが、今の自分には最大限できることなのであろう。